祭儀的生活

 ここはキリスト教の祭儀(サクラメント)を日常生活に向けて拡張し、政治的・文化的に思索を試みたエッセイ集です。

 人の集落には大きく分けて、経済的な面と祭儀的な面がありますが、古代社会においては集落における祭儀的な絆が強かったと云われ、逆に近代化されるに従い経済的な側面が重要視されるように云われます。

 聖書は古代に書かれたので、祭儀的な共同体=イスラエルの回復が念頭に置かれます。しかし神殿での権益を楯に生きた祭司や律法学者から、次第に締め出されたイエスと弟子たちにとって、イエスは生活の中心であり、礼拝の中心でありました。

 イエスこそが神殿の犠牲を通じて語り継がれた生ける神の子であり、真実の犠牲をもって罪を贖う小羊です。イエスをメシア=救い主と仰ぐ信仰の絆により、霊と真をもって父なる神を礼拝する天幕は、エルサレムに向かって涙を流された言葉通り、イエス御自身でした。ここにメシア=人の子イエスの祭儀によって、生活の絆が一新する出来事が起こっているのです。メシアと共に居る生活、これが祭儀的生活の源泉であります。




アジアの風習との関わり
  Commitment
     for Asian folk

耶蘇村
  Vlledge for Jesus

アジアの政治とメシアニズム
  Asian dominant
      in Messianism

宣教的な課題
  Study case of Mission

ときの祈り
  Schedule for Pray




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