祭儀的生活 アジアの政治とメシアニズム


@【アジアの自然と政治】
ジア文化のなかで自然は大きな意味をもっています。アジアの自然は常に母のような優しさを求められ、アジアの経済と歴史のなかで息づいています。そして自然の様々な政治的または宗教的な意味づけは、飢えの問題とも背中合わせです。生きる術と密接に関わってきた自然観が、政治的、宗教的な圧力により豹変を強いられたとき、自然の感覚は崩壊し生命を失っていくのです。

 アジアにおける自然は、人間の歴史のなかで変化を遂げています。ここで3つの類型に分けてみましょう。

@シャーマニズムの部族社会
 野生のものは暦の廻りとともに理解され、恵みと災いの区別を物語として語り継いできました。野生のものを崇拝するアニミズムは、人知の及ばない自然の不可思議な営みを個々の独立したテーマとして捉えます。そこでは多くの神々の名の下に、自然との共感をいち早く察知する呪術者(シャーマン)が集落の座を占めています。

A古代の王権社会
 古代においては牧畜や農業の量産が飛躍的に集団化され、自然は非常に長い年月をかけながら共生を図って改造されました。古代の集団化された食料生産は祭礼のなかで伝授する方法を取り、王は自然を治める神と等しい存在へと高められていきました。王の名の下に神々は祭礼のなかで集権化され、王は神々を従える存在として畏れられ、王の死は自然の崩壊に等しい認識をもって迎えられました。自然を驚愕する大規模な古墳は、王たちの威厳と畏れとが生み出した祭礼の結実であり、人間によって造られたもう一つの神と自然の偉容を伝えています。

B民族による主権国家
 こうしたふたつの類型に加え、近代の民族主義のなかで民衆(または国民)が神格化される自然観をも加える必要があるでしょう。現代の神話となる民族主義は、歴史的事実と民衆の利害が混ぜ合わされて作り出された、自然の人間像を求めて物語が思索されています。民族主義には、これまで政治的に排除してきた貧しい者を動員する魔力があり、民衆が自然に豊かな生活を渇望する、または奪回するための争いは、グローバル化の波に浮かぶ現代社会の大きな問題になっています。

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