淡の日々 其の六

ここで新製品の割にはあまり自慢されることの少ない
と言っているあいだに生産中止となったモノクロ・ハイレゾ機
PEG-T400の愛しさについて のほほんと語ってみた。



6−1.SF・アニメ・神話の世界の情報端末

 最初Visor(バイザー)と聞いて何を思い浮かべたかというと…そう!スタートレックのラフォージュ少佐が顔に付けているアレである。実はアレも携帯情報端末なのですな。やっぱり。私的に眼鏡型の端末といえば、ここ2,3年の間は寝転がりながらオリンパス社のアイトレック(スタートレックのもじりか?…これも生産中止になった…涙)という眼鏡型ディスプレーでテレビを観るというのがお気に入り。他人に見られないパーソナルな環境を簡単につくることができるからだと思う。ハタからみるとすごくサイバーチックなものらしく、テレビのような公共の電波をひとりで楽しむということ自体が相当な矛盾のようだ。また映画を家族や恋人と一緒に観るというのにもそぐわない。あくまでも独りの世界を満喫するツールだと思う。私たちがPDAに観るものはどういった風景だろうか?




眼鏡型ディスプレー「EyeTreck」


 昔、小学生だったころ、友達のひとりがトランシーバーを持っていて(よくアンテナを折って怒られた)、団地でケードラ(刑事と泥棒に別れて隠れん坊する遊び)をしたことを憶えてる。マイクのハウリングを防ぐために同時会話ができないので、あの「こちら〜です…どうぞ!」という独特の掛け声で通話をするのである。子どもながらよく知っていたものだと思う。どこでどう覚えたのか明確な記憶がないのだが、多分、刑事ドラマか戦隊モノを飽きもせず丹念に観ていたからかもしれない。今ではケータイそのものが無線電話として普及しているが、乾電池だけで余計な通信費用の掛からないトランシーバーはいかにも子ども向けのデバイスだった(パームも本来そういう機器だったのではないか)。人によっては学生の頃、ツーリングのときの行きはぐれを防ぐ連絡手段として友人の間で数台を保有していた人も居るかと思う。ともかく今のように完成されたハイテク電子機器が揃っているわけでもなく、手に取るものが新しい物ばかりだった。そういう日本の電子立国的な側面に知らず知らず興味を持って育ったのが今の中年層ではないだろうか。


学研のトランシーバー

 そんな私(?)がある日、携帯情報端末ってカッコイイなと思ったのは、アニメ「Serial Experiments Lain」に出てくる”NAVI”という携帯端末を観てからである。話しの内容は玲音という少女を巡ってWired(ネット社会)とRialWorld(現実世界)の境界がグズグズと崩れ出すサイバー・ホラーな展開(ここにもワイヤードの神様が出てきます>笑)なのだが、このアニメで中学生たちが使っていた”NAVI”という携帯端末は本当にパームくらいの大きさで、文字の表示の仕方がとてもキュートなショートメッセンジャーである(どちらかというとPalmよりBlackBerryのほうが近いかもしれない:動作的にはこんな感じ)。それが話しの後半戦に入っていくと玲音の実家のサーバーとリアルアクセスするエミュレータとして、バリバリにカスタマイズされて登場していたのに再び感動。スタイラスと連動してシュルシュルとエディタ画面が高速に動いて、軽快にマルチタスクを操ることのできる端末に見事変身していた。それが今のパソコンと比べても非常に高機能に感じたのだ。(ってアニメのことですけど…汗)

 この中学生の日常とサイバーチックなカスタマイズの妙に非常な落差を感じて、いわゆるPDAの存在を知ったのだと思う。それがパームを店頭でみた途端、”NAVI”がトラウマのように甦ってきたわけで。いま冷静に考えると、動作の軽快感やカスタマイズしていく楽しみは同じにしても、パームは人の行動を補佐するものなので、人間は行動的であるべし(toDo)という鉄則を促す道具だと思っている。今の時点では仮想現実的な要素はパームにはほとんど存在しないと考えていいと思うが、こうした原則もアニメLainと同様に次第に垣根が崩れてきているのかもしれない。



「Lain」番組後のテロップ



 アニメと言えば、バイザーのネーミングは何だか戦闘ロボットのようでカッコイイのだが(筐体の無骨さと相まって?)、クリエの名称はギリシア神話に出てくる歴史の女神クリオ(CLIO)を思い出させる。手元に知的な書記官を置いているようなイメージである。私自身、CLIEに入れる辞書アプリにこだわるのも、そうしたネーミングに由来する感じがしている。女神クリオといえばフェルメール画の絵画芸術という作品には、デルフト市民のモデル娘がぶ厚い書籍を胸に抱いて女神クリオを気取っている姿がみえる。この気取り方がなにげにCLIEの演出するオシャレな感じと似ていなくもない。ブランド・イメージと芸術とは同じ職人の世界から生まれた姉妹のようなものである。ちなみにスタイラスとは鉄筆のことで、古代に粘土板に文字を刻むのに使った道具だそうだ。シリコンの板に刻まれた古代の知恵とは?今ある歴史を自分用に綴る宿命の女神か?…一度故障した黒クリを観たときモノリス(「2001年 宇宙の旅」の謎の巨大プレート)に似ていなくもなかったのだが、使う道具の進化とは違って、なんだか人間の意識は宇宙旅行してもサイバー化してもそれほど変化するものでもないか…そういう気がする。

   女神Clio





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