淡の日々 其の四

ここで新製品の割にはあまり自慢されることの少ない
と言っているあいだに生産中止となったモノクロ・ハイレゾ機
PEG-T400の愛しさについてボロボロに語ってみた。



4−1.ひとつの別れ…そして

 半年前に既に現役を退いていたVisorを、最近になって同じ教会に通う知人に譲ることにした。で、初期設定のメンテナンスをするために久々に電池を入れて動かすと、なんともまぁキビキビと動くその姿…充電池タイプと違って常に情報の波を泳ぎ続けることを前提としない気軽さがなんとも、自分のパーム体験のはじまりを思い出させるようで…すこし涙がホロリ。半年前を最後に取ったバックアップ・データを再現してみると、なんだかタイムカプセルを観るみたいでドキドキしたり。

 思えば液晶がハイレゾになっただけで、黒クリには制御系からエンターティメントまで色んなアプリを追加していたんだと想起した。最初はFatal Errorの出まくりで戦々恐々としていたのだが、慣れてしまえばそういうものだということで(?)構わずリセットピンを差し込んであげる。で、動かないアプリは無理せずキッパリ諦めて同機能の他のアプリを捜す。最近になって黒クリでもローレゾなら機敏に動くことが判ったので、何が何でもハイレゾアプリと肩肘張らずにSwichDashで表示精度をセパレートに分けて使う。そういうクセが身に付いた所為だろうか、Visorではそうした勘ぐりを一切せずともいつも元気にテキパキと働くのが当たり前だったのかと妙に新鮮な気がした。

 その点では黒クリはいつもアンダンテな日常を演じているように思う。機械が演じるというのもおかしな気もするが、黒クリにはそうしたソニー製品らしくない脱エンターティメント的な感覚がある。しかし交響曲の序奏のようにOSを立ち上げる毎に儀式のように社名が出るパソコンとは違い、普段のモバイル機器なら軽快なバロック音楽のように常にモビラーテかアレグロなテンポが心地よいかもしれない。

 そこで拡張機能としてのハイレゾのしくみは文字表示のみに機能する傾向があるので、Visorの持ってた利点を再認識するとともに、黒クリでより大胆にハイレゾ・ローレゾの振り分けをしてみた。表示がビジュアルなアプリやたまにしか見ない制御系アプリはローレゾでも充分に情報が判るし、データベースの閲覧や文字情報が中心のアプリはハイレゾが好い。ささやかなことは小気味良く機敏に対処するのが好いし、読み物はじっくり読めるからこそ面白い。




   しばしお別れ
【ビジュアル&制御系アプリ】
 ローレゾでも充分に視認性の高いアプリたち。
 いつでも『手のひら芸』の曼陀羅



【ハイレゾ表示の必要なアプリ】
 凡てというわけではないがデータベースや読み物には必要な拡張機能。





4−2.モノとしての造り込み

 こうして多くのアプリの画像を達観してみる(汗)と、CLIEだからといってなにがなんでもハイレゾでなければならないのではなく、ハイレゾ「でなくても」有用なアプリはパームには沢山あるように思う(当たり前か)。そうしたアプリたちに囲まれつつ、Palm-OSの基本機能をハイレゾ側に素直に拡張したかったのがT400のコンセプトではないだろうか。しかし、もともとOS4.0でサポートされていないモノクロ・ハイレゾ表示は、デバイスの安定度から言ってもPalm社製のものとは比べものにならない。カラー版のクリエに背丈を合わせて付属したgMovieやPhotoStand、CLIE Paintなどのエンターティメント性の高いアプリケーションの陰では、モノクロではなんとなく機能的に物足りないように感じる。また「モノクロなのに動作がもたつく」というのはハイレゾ画面でのことであるが、総体的にはカラー・ハイレゾで機敏に動くのであればわざわざモノクロでなくても…という単純な理解に達する。等々、PEG-T400は欠点を挙げればきりがない。

 そうした四面楚歌の最中でも、私にとって黒クリの電子手帳としての有用性は市場価値では推し量れないほど愛しい。単純にはPEG-T400は電子手帳として十分な性能を楽しませてくれる一方で、設計業務のほとんどをパソコン処理でこなしている私にとって個人情報の扱いがあまりアクティブではないという理由もあると思う。その個人情報に乏しい私に公の有用な情報をカタチにしてくれるフォルムが黒クリにはある。一枚のCoolなアルミ製プレートに電算処理可能なメモ用紙が多数連なっていて、必要な情報をすぐに捲って見られる。そういうフォルムがクリエのなかには詰まっている。そして業務のほとんどをパソコン処理でこなしている現段階では、パソコンのソフトの起動に比べたら黒クリの動作のもたつきなどゴミのような話しである。いわば商品の市場競争とは別のところに比べるべき対照があってそれに満足している。ただそれだけかもしれない。その意味では私にとってビジネスで有用なコンテンツは関数電卓や辞書、天気予報のような他愛ないものであり、それが動く十分な性能は既に備わっているといえる。

 私の使い方では、PEG-T400は発売当初から宣伝されていたソニー的エンターティメント機能(ミニVAIOの影を背負ったデバイス)からは逸脱することになるが、その視点を離れるとPalm-OSのベーシックな機能においては満足できる仕上がりであると思う。そしてそれを覆う筐体の造り込みにおいて、クリエの欧米でのブランド・イメージを賭けた(と思われる)贅沢なボディ・デザインに非常に満足している。(継ぎ目のない超美麗なアルミニウム・フォルムはココ) それはかつてソニー社がVAIO 505シリーズのマグネシウム薄型ボディでソニー製ノートパソコンのブランドイメージを定着させた(IBMのほうが堅牢で、性能的には東芝やNECのほうがワンランク上だったにも関わらず)のと同じ戦略であろうと思われる。発売から半年程でこの試みはSL10のような廉価版に引き継がれるようになったが、PEG-T400に託された機器の精巧な造り込みだけは今でも十分に堪能できる。今後は欧米での販売戦略よりも中国、東南アジアでのシェア争いが始まると思われるが、その意味でもPEG-T400はヨーロッパピアン・デザインを真っ正面から意識した最後のモデルになるかもしれない。(既にT650ではプラスチック筐体に変わっているし…)

 そうしたコダワリを私の思いと重ねてみると次のようになる。

◆アルミ材に深絞り一体成型を施したボディは、嗜好品に近いPDAの分野ではほとんどコストを無視した仕様でひと味違う造り手のこだわりを感じる。(勇気ある分解写真はここ
◆継ぎ目のない筐体は剛性が高く、ジョグダイヤルを繰り返し使い込んでもズレたり軋んだりすることがない。
◆専用の射出型枠を複数工程にわたり設計・製造することを考えると、初期の製造コストは通常のプレス成型のT600より高かったのではないか?(あるいは赤字覚悟で出したのかもしれない)
◆筐体の重心は液晶とGraffitiのちょうど境目にあり、持った瞬間に手のひらのなかでの位置が自然と定まる。
◆限定バージョンの黒クリは、丹念に焼付塗装された黒炭色が剥がれにくく、筐体と液晶とのコントラストが甚だ好いため液晶だけを眺めている気分になる。(お尻の部分もアルミ製らしい)
◆人気の悪いハードボタンだが、ゲームをほとんどしない私には指先を腫れ上がらしたり爪を割ったりすることもないので、逆に金属製で壊れにくい安心感がある。(あえていえばソフトリセットのとき辛いかな…)

 こうした筐体の造り込みはカタログのスペックには載らないし買ってすぐには気付かないのだが、使いはじめてしばらく経つと、飽きのこない質感に使い心地の良さを堪能することになる。これでOSの不安定な部分と画面のもたつきがなければ間違いなく名品と呼ばれたに違いないが、そうした設計ミスと呼べるような呼べないような悲喜交々を含めて私が黒クリを使い続ける理由ともなっている。








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