耶蘇村
 礼拝の場を示すモノ

 生活の津々浦々に行き渡った伝統宗教の在り方をスケッチするため、日本の風習と旧約聖書のイスラエルの伝統とを対照してメモを添えた。アジアの伝統宗教はすぐさま聖書的なものとして受容できるものではないが、キリスト教が生活の座を異文化のなかに据えるヒントとなれば幸いである。






小屋は貧しさの象徴でもあるが、茶室などのように簡素ながら無駄のない空間が造られる。
●イスラエルには仮庵祭があるが、貧しい成りは主に頼ることの謙遜を思い起こさせる。







しめ縄そのものが神聖な徴なのではなく、縄張りが示す境界が神聖視される。多くは神木の幹に飾られるが、写真は岩ではなく天戸に掛けられたもの。
●イスラエルは全ての民に測り縄で地境を定め、その境界線は神の定めた侵さざる領域だった。





石碑は追分けや町村の境界に据えられる。名も無く行き倒れにあった人々の慰霊であり、道行く人の安全と土地の守護を顕す。
●アブラハムとその子孫は主の救いの記念に石碑を築き、そこで礼拝を捧げる習慣をもっていた。






灯りはそれ自体が魂の象徴であり、人に闇の世を照らす案内の役目も担う。
●イスラエルの神殿にも年中灯りを絶やさない規定があり、全焼の犠牲に対する憐れみの対照を示す。


旗は人に結束を促すものであり、また鯉のぼりのように風になびくことで見えざる力の象徴ともなる。
●聖書の神の霊は風や息と同意語で、見えないが存在を感じるものとして言い表される。





暖簾は風よけの段幕であるが、中の見えない商いの様子を知らせる看板でもある。
●イスラエルは至聖所を一般の目に曝さないように幕で覆っていた。




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