祭儀的生活 ときの祈り
祭の暦

 聖書に記される祭りには、月毎に行われる「新月の祭」の他、春に行われる「過ぎ越しの祭」、「五旬祭」、秋に行われる「仮庵の祭」がありました。基本的には農業暦に沿っているものの、その意義がイスラエル民族の救済(エジプトからの救出、律法の授与、砂漠での生活)を祝っている点に特徴があります。

 キリスト教では、これらの祭りが継承された面と、地中海世界での新しい伝統が合流したものとがあります。新しい伝統の最も大きいものはクリスマスで、冬至の太陽の神を祝う祭りがキリストの生誕を祝う祭りに換えられました。今ではクリスマスが他の祭りを圧倒しているかのような日本の状況ですが、見方を変えると、過ぎ越しや律法といったイスラエル固有の意義の中で十字架に掛かったイエスの縁起よりも、もともと縁起の薄いがゆえに土地々々の伝承に馴染みやすいクリスマスの方が親しまれる結果を生んでいるのではないかと考えられます。逆に言えば、クリスマスはキリスト教とは関係のない無信仰の要素を多分に含んでいる祭りともなっているのです。

 日本においては、大きくは盆と正月、その他に農業暦や漁業暦に基づく祭りが春秋に行われたり、古い習慣の名残として雛祭り、七夕などの縁起を祝う習慣があります。こうした祭りは、支配者に権益がある祭りだけでなく、庶民側に権益の属する祭りがあったりと、封建社会の枠組みをストレートに表す多様な状況を作っています。夏祭りには縁日が、正月には門付けの物乞いが排出するように、日頃は貴賤の溝で絶ち尽くされた人々の絆が、ひとたびありとあらゆる神々の縁起に誘われるや、急いでこれを出迎える身支度をする始末です。

 かように重層した生業を呈している祭りの状況に、現在では都会における祝祭空間の常駐が加わり、祭りの意義を一層複雑で判りにくいものにしています。誰が何のために行うものやら判然とせぬまま、つまり信心が明確に意識されずに習慣だけが取り残されているといった状況でしょう。多くは金融経済から離れたところで、自分と世間の絆を意識する機会を与えてくれるものの、縁起の薄い点では刹那的な宗教への不信感と背中合わせになっています。実際、門付けの芸人は縁起に託けた卑しい物乞いと見られてました。降り積もる時間の流れの中で贖われない命が彷徨う世間の姿に、かろうじて自分と同じ刹那な世間との絆を見出すだけです。

 さきにイスラエルの祭りを挙げましたが、これらは依然として季節を巡る命の祝宴に合わせて設置されました。私はこれが単なる人の都合でできたものではないと考えます。これらの祭りには、ヤハウェがイスラエルを見出した決定的な機会が想起されます。エジプトの奴隷として見出され、ヤハウェの掟に罪人の姿を照らし出され、砂漠において貧しい者として見出されたイスラエルの姿に、ある種の刹那な人間像を見出すことでしょう。しかしこの人の子の影は、罪に歪められた人の刹那を慈しむヤハウェの眼差しによって、全くの急転回を経験することになるのです。この一見刹那な時間の流れのなかに刻み込まれるヤハウェの御手の介入は、今も生き続けて繰り返される恵みの熟する機会として、人々の命の記憶のなかに染み渡る出来事なのです。

 ヤハウェを祝う祭りはキリスト・イエスにおいて、私たちが刹那であるという戒めと、永遠に続く命を購う御手が入れ替わる、特別な機会として私たちの人生に与えられます。このとき人々は、互いの罪に染まった刹那な性への眼差しを愛の業に換え、集落の絆は全く新しいものに洗い清められます。





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