古ヨーロッパ・キリスト教美術 | |||||||||
ロマネスク期以前の8世紀頃から10世紀にかけてのキリスト教美術。5世紀から200年余り続いたゲルマン人の民族大移動がほぼ定住化してさらに200年後の世界でもある。 そこには古い異教の神々の宗教が生活のなかで依然として根強く生きており、人々の意識も語り口も自然に神話の世界と結びついていた時期でもあった。 ここではいくつかの図像のモチーフをもとに、ヨーロッパのキリスト教のトランス・カルチャルな面を考察してみたい。 ●ケルトの組紐文様(北方ヨーロッパ)
この組紐文様はゲルマン人の間でも伝わり、北欧からドイツにかけて動物文様との組合せて装飾に使われた。
●ヘレニズム文化と生命樹(ラテン文化圏) キリスト教の幼年期は同時にギリシア文化の老年期でもあり、総じてヘレニズム文化と云われる。ヘレニズム文化はアレキサンダー大王の遠征にあるように、アラブからインドにおよぶ広い地域をカバーしている。この際、生命樹はアラブ・オリエント世界の宗教のシンボルであったが、広く地中海からインド、中国にまで及ぶ、古代では最もポピュラーな主題であった。 地中海に地の利として近い北イタリア、フランスなどの地域では、オリエントの生命樹がそのまま用いられた例がある。 ![]() この8世紀北イタリアのCividale del Friuliの洗礼堂にあるレリーフは十字架を囲む生命樹と四福音史家の象徴、そして動物の戯れる姿が描かれる。組紐の十字架が法輪であればそのまま仏教美術になるものでもある。ヘレニズム文化から受け継いだ意匠を汎オリエントな素材で埋め尽くした例でもある。
![]() 同じ11世紀ドイツでの「エヒテルナッハの黄金福音書」挿し絵では、「金持ちとラザロ」の喩えで、死んだ貧者ラザロがアブラハムの膝で慰められる、そのときの楽園に生命樹のモチーフが使われている。しかし全体的には人物描写などにビザンツ美術の影響が顕著で、先の2作品に比べると不自然な感じはしない。カロリング・ルネッサンス期のキリスト教美術は、ヨーロッパがローマ・ビザンツ文化の後継者たらんとした文化変革でもあった。 このようなスコラ哲学とキリスト教の出会いによって生じた芸術は、それ以前は単なる装飾(それも自身の民族文化との橋渡し)であったものが、民衆の理解できるレベルを遙かに超えたドグマの象徴で聖堂を彩るまでに開花した。のちのロマネスク〜ゴシック聖堂の装飾技術を見るまでもない爛熟した中世の世界観で見る人を圧倒する。一方でヘレニズム=オリエンタルの異教文化を含めて全て無批判に吸収し用いられたため、ローマ・ビザンツ文化から受け継ぐべき教会遺産をヨーロッパのキリスト教会が見誤っていた部分も多々感じられる。その後ヨーロッパのキリスト教会が十字軍による精神的統一を果たした後、地中海の古典文化を自分のものとして答えを得るのに500年の歳月を必要としている。自身の歴史を乗り越える力はかなりの労力と伝承が必要だと思う。 |
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