★ライバルはポケコン?
ポケットPCのことではないでしゅ…BASICプログラムが走るポケコン… そんなのもう誰も知らないでしょ。でもエンジニア仲間は皆使ってるんです。 そんな職場でひとりパームをポチポチといじってるオジサンの独り言です。 ●その昔ビジネスにザウルス、デザイナーにマックと謡われた頃、理系学生にポケコンという時代があった。ときは世紀末にはまだ遠いバブル経済を謳歌していた1980年代のことである。多くは学生生協で共同購入することから始まり、最初は関数電卓として、あるときはBASICプログラムの演習アイテムとして、またあるときは構力試験の隠れ公式集として、またあるときは慣れない徹マンの点棒集計機として…(^_*)\バキッ…数字に関わるありとあらゆる場面で苦楽をともにしたものだった。 それから20年近くの歳月がすぎて、猫も杓子もパソコン(ついでにAIBOも…(^_*)\バキッ)という今の時代においてそれがどう変わったかと云うと、やっぱりポケコンなのである。もちろん一人一人のデスクにパソコンが置かれることは当たり前になったが、設計者に会社から経費で支給されるのはポケコン。この前、新入社員が入ってきたが、そいつの持ってたのもポケコン。小さめの算盤(そろばん)と同じ横長のサイズで単4電池で動くので、A4の資料フォルダにしまい込んで一緒に持ち歩く…32kBのフラッシュ・メモリー付なので、複鉄筋の応力計算プログラムくらいは入れられるが、実際それで命一杯である。こうした場面がエンジニア仲間の間で脈々と受け継がれて今に至っている。
●私は私で2001年の梅雨の頃に、グラフ機能付関数電卓(かつてグラフ機能は地下水の集水路のポンプを設計するのに近似解を出した力業も演じた)の液晶が縦一列にビット落ちしたのを機会に、新しいのに買い換えようと上司に相談したら「2万円の関数電卓?もっと安いのにしなさい」とすげない返事。これまでも自分の気に入った関数電卓を自腹で購入してきたので、広幅液晶タイプを捜してみると(そのころは)もはやほとんどが品切れ状態。トホホ…である。と言って、プログラム機能をほとんど使わない自分にとってポケコンは重たい荷物に思えた。 それならいっそ値下がりしたザウルスなど…と思ってヨドバシカメラに行ったのが束の間、なんと関数電卓付のVisor Edgeが並んでいるじゃありませんか。Graffitiの独特な入力は判らなかったが、今までのコンピュータのイメージと違って、ほとんど電卓のようにテキパキと反応する。このとき広幅液晶+関数電卓+電子手帳=アルミボディ(…全然答えになってない)に見初められて、パームに出会ったのでした。結局、パームの安売り攻勢の口火を切ってEdgeの半額になったPlatinumを購入した≪(^_*)\バキッ≫が、一番最初に入れたアプリがFuncCalc(関数電卓アプリ)だったことは言うまでもない。 |
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![]() まず土建の職場では工事毎にチームワークをとって行動するので、個人データを管理するPIM機能というのもあまり使う頻度はない。かといって設計の打合せで書き込む内容は数行のメモ程度ではすまないので、大学ノートか図面の下書きを持ち込むのが普通である。ということをあれこれ考え合わせると、パームのような携帯型コンピュータは土建業務のニーズに添った充分な機能をもっていないというようなことになる。予定表は組織で管理されるし、関数電卓なら関数電卓があるじゃないか…しかし本当にそうだろうか? ●最近の私の事情をいうと、業務が単に設計屋という領分に留まらず、構造試験のデータ解析から工事の工程管理、建材商品のコンセプト作り、プレゼン用のCG製作と、ありとあらゆる業務を扱うことになる。パソコンの普及のせいだろうか、設計計算書にも構造様式の提案めいたことを挿絵を使って書き添えることも少なくなくなっている。これまで分業体制で取り組んできた業務から、コンセプトの統合と管理を客先と共同で行うことが増えてきたのである。土建業界にいわば人材の空洞化が起こっているともいえるのだが、いち設計屋の立場では単純に関数電卓だけで情報の管理が難しくなってきた。事前検討段階で提出された多くの書類に囲まれながらもエッセンスを汲み取り、課題とするべき事柄を決めて取り掛からなければ、問題の筋道を間違ってあさっての方向を検討し成果を出せないこともあるからだ。そこで工学、経済、歴史などの様々な切り口を睨みながら、パズルのように土建構造物が造られるまでの物語を織り上げていく。 パームがそうした多元的なプロジェクトを思索するための有効な情報端末に成り得るかというと必ずしもそうではない。いろいろ試してみたがほとんどの場合、白い紙を広げてマップ上に物事と物事との相関図を書いていくやり方のほうが整理が付きやすいのである。つまり既存のコンピュータには、それをまとめるフォーマットもソフトも存在しないので、フォーマットのない紙に自由にキーワードを並べて相関のあるグループをまとめていく。そのなかに関数電卓を叩くこともあるというシチェーションができあがりつつある。つまり関数電卓はパズルの駒に数学的な整合性を出すためのアイテムなのだ。予定表は時間的な整合性を与えるかもしれない。では経済環境は?歴史や文化は?…新聞などの情報の切り出しだろうか、それとも生活情報や辞書、エッセイや小説のような物語だろうか。ある意味で私にとってのパームは業務で生じるパズルの縮図そのものであると言っていいかもしれない。矛盾するようだが、パームという限定された器のなかで整合性の取れる情報ソースは、ほとんどの場合かなり事実に近いものといえる。単純には部材の名前と役割、スペックや形状など、凡て言葉で聴いて解ることが織り込まれるようになるからだ。 |
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●パームはハード的な魅力があるか?これは難しい質問だと思う。デザインだけみるとPalm-Vは飽きの来ないとてもいいデザインだと思う。(実はお忍びで中古のものを持ってる…) 斧のようなエッジをもつことで薄さと奥行き感を演出しているし、薄型なのにエラの張り具合が手のひらの付け根にとても好く馴染んでしっかりホールドできる。スタイリッシュでありながら人間的な要素を巧みに盛り込んだ優れたデザインだと思う。対照的に卵型のポップな形状のm100シリーズは、ちいさな子どもの手でも無理なくホールドできるように工夫されているし、ボタンと駆体の剛性が同じ樹脂系で統一されているので少々荒っぽいことをしても駆動部分が壊れにくいように思う。Vシリーズのビジネスとm100シリーズのアウトドアという微妙な住み分けを、それぞれのデザインで演出しているように感じる。 しかしこれらのPalm社の製品は特に機能上で大きく異なるというわけではないことに注目するべきかもしれない。多分Palm社ほどOSの仕様に保守的なところも少ないと思う。そしてPalm-OSデバイスの機能はハード的なスペックで語ることをあまり重要と考えていないようにも思える。コンピュータ社会とかネット上のバーチャル・コミュニティという現象がある一方で、Palm社の基本姿勢は人間のコミュニケーションは人間自身がするべきものというメッセージ性を個人的には強く感じる。 パームウェアのほとんどは情報ツールであって、ある人の行動を促すのにメモリ上に事情を蓄えてくれる「だけ」のものが多い。コンピュータが夢の世界を実現したり、人間の手足となって働いてくれるようなことは、パームウェアから生まれてくるとは考えにくい。そうした「ロボットのような機能」をパームが持たないかわりに、私たちが持つべき役割を認識させてくれるデバイスであるように思う。記憶の鏡というべきだろうか? この辺のニュアンスはまだよく判らないことが多いが、メモとか日付とかは人が暮らすのに古くから馴染んできたものなので、何かと文化的なものと触れ合いやすいのだろう。いずれにせよ人間の持つ能力をフルに使って行動で解決していこうという姿勢は、パームが便利ということとは裏腹のことであると思う。 ●ところで、この手の電子手帳を使うのに会社の経費ではなく自腹で買っている人も少なくないと思うがどうだろうか(かく言う私もそのひとり)。一般には電子手帳は会社で配布される手帳に比べると値段は20倍〜30倍、関数電卓の代わりとしても価格は3倍〜4倍になる。かといって営業成績を個人で競り合う業界でもないので、個人データの管理にコストが伴うという考え方も薄い。だから使ってる本人は趣味ということで考える以外にないのである。個人で所有する以上どうしても安価なものを志向せざるを得ないし、会社にサポートしてもらえたら嬉しいな…と密やかな思いを込めて書き綴っているのでございます。電卓のように文具店に並ぶようになるといいのですが…OA機器って名前が付くだけで経理のほうは高級品とばかり思いますものね。小売りで扱う店の数からしてもまだまだ敷居は高いようです。 しかし見掛けは高価そうに見える携帯情報端末も事務用品と比較してみると以下のように化けます。
ねぇねぇ、部長ぉ〜新しいパーム買ってったら〜!!(^_*)\バキッ |