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讃美歌とオルガン 西洋音楽としての讃美歌を保持するのに大きな役割を負ったものにリード・オルガンがあります。宣教師がオルガンによる伴奏だと讃美歌の節が巧く歌えることに注目して、本国のミッションに献品を要請することもありました。やがて尋常小学校でベビー・オルガンが導入されると、教育用楽器として全国津々浦々まで行き渡るようになります。ヤマハ楽器の創設者も小学校にあったオルガンの修理から事業を始めたといわれます。オルガンは明治時代に西洋楽器のうちで最も知られた楽器だったのです。明治期の庶民に親しまれていた歌に長唄がありますが、他の欧米諸国では野蛮に思えるスコットランド民謡の節回しは、長唄や追分節と馴染みの良いものでした。当時は創作讃美歌といってもメロディは西洋のものを使っていましたが、スコットランド民謡は日本人の讃美歌の母胎ともなったのです。西村清雄作の「山路越えて」などは、明治時代の流行歌ともなり記念碑が建てられています。いわばラジオもテレビもない時代に、人々は讃美歌を自分の節回しで伝承していったのでした。こうしたフォークロアの性格は尋常小学校唱歌の影響で大正時代には消えていったのです。 リード・オルガンの出現によって民謡の世界が過去のものになったのはアメリカにおいても同じで、その影響をさらに限定的に受けた日本のキリスト教音楽事情は決定的なものになりました。讃美歌風か讃美歌風でないかということが、その後の教派的な特徴をも左右するくらいに礼拝様式をも支配することになります。 [←PREVIOUS] |
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