会衆讃美の世界
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日本人による讃美歌

 最初は英語教室で西洋音楽を教える際に歌われた讃美歌も早くから日本語に訳され、明治20年代は讃美歌ブームと言えるくらいに多数の讃美歌集が出版されました。聖書では初期から聖書協会による共通の訳を用いる傾向がありましたが、創作の余地がある讃美歌では比較的自由な気風がみられたのです。印刷には海外ミッションの後押しがあったものの、西洋のメロディに訳語を押し充てるには日本人の協力が必要でした。初期の讃美歌作家には翻訳を営むうちに自分でも創作をやるという人が多かったのです。明治から大正にかけて印象深い讃美歌作家は、明治版讃美歌の編集者、別所梅之助と、デビソン宣教師の元で補佐をしていた永井(松本)ゑい子です。

 別所梅之助は日本の讃美歌に花鳥風月の美しい色合いをつけた逸材で、明治版讃美歌の添削の際にも別所節といえるような修正が多くみられるようです。「やまべにむかいて」はそうした編纂作業が一段落した後の作ですが、日本的な自然観とキリスト教とが解け合った代表作です。また別所は登山をスポーツとして紹介した最初の人で、当時としても一流の趣味人でもありました。

 松本ゑい子は17才の子女の頃にデビソンの基督教聖歌集の編纂の補佐に入り、自身でも七五調の讃美歌を添えるなどしました。デビソンは日本伝道において当地の民謡を用いるべく勧めていて数曲の日本民謡をあしらった讃美歌が収められています。「あまつましみず」は明治版讃美歌に組み入れられる際に語調を改められていますが、松本ゑい子の新鮮な感性が最も判りやすい讃美歌でもあります。その後、華族女子学校で教鞭をとったりしてましたが、夫の永井の事業の兼ね合いもあり渡米した後も、進歩的な女性として新聞記者などを務めかの地で亡くなりました。

 ♪やまべにむかいて(讃美歌301番)
  別所梅之助が大正期に書いた讃美歌です。登山家としても知られた
  別所の山に向ける思いは遙か天にあったかと思うのです。
  詩篇121篇に寄りながら、ピューリタンのGloomyな文脈も忘れてません。
  ここは言葉の繊細さとほのかなロマンティシズムを織り混ぜてみました。

 ♪讃美歌「あまつましみづ」都々逸風
  永井ゑい子作「あまつましみづ」に都々逸風の節をあえて付けてみました。
  少し俗過ぎる面がありながら、ちゃんと歌詞の韻律が浮き出てきます。


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