会衆讃美の世界
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文明開化と江戸の芸能

 江戸末期までは鎖国状態にあった日本ですが、欧米諸国から見た日本の姿は他のアジアの国に比べ少々違うものがありました。古くはマルコ・ポーロの東方見聞録に書かれた黄金の国というイメージがありますが、それは16世紀までのことで、実際に日本を訪れた西欧人が揃って口にするのは、貧しい庶民の暮らしぶりでした。ほとんどの人々の暮らしは貧しいがそれに満足しているようだ、そういう記述がみられます。

 当時の日本文化の紹介は、19世紀中頃には繊細で色彩豊かな浮世絵が紙くず当然に陶器の包装紙として伝わり、あるいは1900年のパリ万博を前後して川上音二郎一座によるヨーロッパ公演を通じて大衆芸能の醍醐味も知ることができたのです。これらはほとんど全てが江戸末期の爛熟した庶民芸能に関するものです。残念なことにこれらの芸能者がキリスト教に触れることはほとんどありませんでした。ちなみに英国グラモフォンの録音技師のガイスバーグが、混血の落語家、快楽亭ブラックの案内で録音した当時の伝統芸能の大量のアルヒーフがありますが、それらの録音に残った芸能で後の時代にキリスト教と関わったものはひとつもありません。

 確かに大衆芸能をリードしていたのは、門付けを行う大道芸人だったり、花街の芸奴だったりと、江戸時代においても士農工商の身分に属さない人々でした。一方でキリスト教を熱心に学んだのはかつての武士階級の人々で、そうしたなかで讃美歌は純粋な歌謡芸術としてではなく、純粋な西洋思想を伝える道具として欧米のスタイルに忠実であることに価値観をもつことになります。


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