会衆讃美の世界
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リード・オルガン(南北戦争後1)

 急激な開拓の波が収まり時代が落ち着いてくると、アメリカの讃美歌もドイツ・ロマン派の影響を次第に受けてきます。この手の先駆者はローウェル・メーソン(「主よみもとに」の作曲家)ですが、彼自身は19世紀アメリカの最も成功した讃美歌作曲家である反面、自分の属するボストンの会衆派教会では晩年に至るまで正規の礼拝で歌ってもらえないようでした。あくまでも古い英国の詩篇歌と精々ウォッツの讃美歌が歌われるのが通例だったのです。

 その晩年に息子がフランスのハルモニウムを改良して大量生産したリード・オルガンは、瞬く間にアメリカ中に行き渡り、教会に無くては成らない楽器になりました。特に教育用楽器としての活躍は凄く、海外宣教ではヨーロッパ音楽の組織音階を効率よく教えるのに、リード・オルガンにまさる楽器はありませんでした。ただそういう下地は父ローウェル・メーソンが敷いた、民謡とクラシックの融合させた様式が全米で受け入れられていたからに他なりません。ローウェル・メーソンの生きた時代はアメリカにおいてクラシック音楽を演奏する第三世代にあたります。18世紀アメリカでの楽譜出版はアマチュア演奏家のためのものがほとんどで、地域の音楽教師が生徒に演奏しやすいように名曲にアレンジを施したものでした。趣味で楽器を嗜むのは比較的金持ちの子女で、ハープシコードを教えるのは裁縫やダンスの素養も兼ね備えた女性ということもしばしばでした。これらは18世紀にプライヴェートに披露された音楽事情で、クラシック音楽の需要は主にアマチュア演奏家のためのものであり、讃美歌に時折みられる編曲メロディ(「もろびとこぞりて」など)はそうした時代のなかで熟成されたものでした。こうしたアマチュア音楽家の需要はイギリスからの影響でもあり、バロック〜古典期の英米の音楽事情を知るうえでひとつのファクターでもあります。

 ♪リードオルガンの演奏
  リードオルガンの丁寧な解説を交えてくれるReed Organ Home Pageより。
  ここではEstey社のオルガンを中心に扱っているが、日本で観るリードオルガン
  に比べビクトリア調に装飾された豪華なつくりである。バッハの編曲物が目立ち
  19世紀前半のバッハ・リヴァイバルの余波でメソッドを探求していることが判る。
  ここでの演奏はレジストレーションの設定に変化を持たせているが、メロディに
  若干の装飾音を加えているのが興味深い。

 一方でリード・オルガンに合わせて編曲された讃美歌は、機能和声のシステムに染まりすぎる嫌いがあり、歌謡芸術のもっていた色合いが抑えられる傾向があります。一般に讃美歌風といわれる歌唱法や編曲形態は19世紀前半には観られないものでした。しかしオルガン編曲された四重唱版は讃美歌の持っていた地域性や歴史性を均してしまう一方で、アメリカのように様々な民族がひとつの礼拝に集まる国では歌声を合わせるという点で有利に働いていると思われます。19世紀後半には世界宣教を目指す団体によって、一冊の讃美歌集に様々な歴史をもったメロディが掲載されていますが、それがリード・オルガンひとつで演奏できた理由には、讃美歌を収録する際に機能和声に当てはめる編曲のメソッドが確立されていたからです。これとは反対にイギリスの聖歌隊では喩えオルガンで伴奏しようとも6度下降する音程を低く取るミーントーンの伝統が残ってます。これはオルガンによって歌唱スタイルを確立する以前の伝統がある地域と、オルガンによって組織音階を獲得した地域との差であると考えられます。

 欧米でミーントーンの音律でメロディを歌う習慣は17世紀から19世紀前半まで続きますが、リード・オルガンの伝搬以降のアメリカではカントリー歌手でなければそういうことはしません。アメリカにおいてカントリー音楽と讃美歌唱法が枝分かれするのは南北戦争の頃からだと思われますが、それ以前から行われていたミンストレル・ショーとその周辺の音楽(フォスターの歌曲など)が讃美歌編曲の技法が枝分かれする前の情況をよく示していると思います。リード・オルガンの開発時期と南北戦争とは時期的に重なっていて、アメリカの大衆歌謡に文化的な断層がみられるように思います。


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