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シンギング・スクール(独立戦争後)
18世紀のボストンで流行ったものに土曜に開かれる歌唱学校(シンギング・スクール)がありました。そもそもこの学校は詩篇歌を楽譜通りに歌えるように指導するのが始まりでした。当時のほとんどの人は組織音階に十分に馴染めず、ときには調子外れな音で歌う人も多かったようです(その経緯は前章で述べています)。そこで譜読みを合理的に行うためにシェイプ・ノートという音符を様々な図形で書きわけ、移動ドで読めるように工夫した楽譜が用いられました。Sacred Harpという曲集が有名ですが、これを歌う集会は今でも残っており、声は全くの地声ですがアカペラの四重唱を歌うことができます。最初はドレミ読みで歌い、その後歌詞を付けて歌うのですが、あるいは先唱者を用いていた頃の名残があるのかもしれません。 ♪Sacred Harpの歌唱:Sherburne(Daniel Read作) Daniel Read自身は東部の裕福な商人でいわゆるアマチュア音楽家。 ここでの歌唱はアラバマ州に残っていた集会の様子を録音したもので 讃美歌史のなかでは19世紀中頃以降は忘れられていた。 四重唱のアレンジも男声に重きを置いたもので、ソプラノを主旋律に置くのは 19世紀の発想であることが判る。18世紀まではテナー主旋律が通例だった。 楽譜上でも男女合わせて歌うことが普通になっているが、保守的な18世紀では 若者を引き寄せる大変な娯楽であったことは想像に難くない。 Singing Schoolは本来楽譜の読み方を教えるものだったこともあってか 歌唱の前座にシェイプ・ノートをドレミ読みで歌っているのが興味深い。 日本におけるドレミは欧州ではCDE表記であまり馴染みのないものだが この時期の音楽嗜好がフランス寄りだったのかという疑問は多少残る。 英国でのメソジスト運動を支えたバンドがバロック・ダンスと関わりがあるので フランス舞踏の伝承から楽団の譜読みがドレミになっていた可能性はある。 ("Sacred Harp" New World Record 80205-2) シンギング・スクールが流行ったのはキャンプ・ミーティングの流行った時期と重なりますが、歌詞ではアイザック・ウォッツやウェスレー兄弟のものが、曲想ではヘンデル風のフーガ(fuging tune)の付いたものも使われるなど、メソジスト運動などの英国での流行を意識したかなり都会的で洗練されたものです。音楽の書法としては古典期に属するものでしょうが、テナーを主旋律に置くなどルネサンス時代の習慣も見られますが、これは18世紀のイギリスでも同じ状況です。イギリスではエリザベス朝以来のアマチュア音楽の興世がほとんどそのまま18世紀においても継続されます。逆にピューリタン革命期に宮廷風の楽団は非難の矢面に立たされましたが、アメリカでの展開はあくまでも無伴奏のアカペラ歌唱ということになります。Sacred Harpの作曲家は本業が靴屋とか大工というアマチュア音楽家の名が次々と挙げられ、これらは従来の讃美歌解説にも開拓地特有の臨時の事柄と説明されていたのですが、最近になってイギリスのメソジスト運動(West Gallery music)の影響であることが判りました。イギリスでは民衆に馴染みのあったカントリー・ダンスのバンドが教会の後ろの席を陣取って伴奏しましたが、宗教的に保守的なアメリカでは酒場のバンドがそのまま教会に入るようなことは避けられました(当時は教会内で男女別に席が設けられていたのです)。この点はカルヴァン主義の影響の強かったアメリカ特有の問題であり、時期的に独立戦争と重なることもあって文化的な気概というものも感じられます。それとは別にシンギング・スクールの歌は宗教的なものながら、簡単なフーガを持ち込むなど伸急が激しく立派な娯楽にもなっています。後にバーバーショップ・カルテットからゴスペル・カルテットに繋がる伝統の発端であり、テナーをソロに立て礼拝ではなく集会やコンサートで歌うことなど、共通の形式が受け継がれているように思います。 [NEXT→] |
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