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イギリスのブロード・サイドの歌謡
18世紀のイギリスはニュートンなどの科学発明にまつわる産業革命や、ヘンデルなどの壮麗なバロック音楽に代表されるものですが、一般にそれらは庶民の日常生活に触れるものではありませんでした。イギリスは早くから市民革命と議会制を実施した国でもありますが、貴族と富豪による統治という二人三脚を受け止めたに過ぎませんでした。つまり支配される側の農民や商人は存続しつづけ、18世紀にはそこに労働者という職能者も都会に増えていきます。ロンドンのブロード・サイドはまさに王室の足下で小売りや労働を行う人々でごったがえしていたのでした。 当時の音楽事情をスケッチすると、街角では新聞代わりに時事を歌ったバラッド売りがいて、下町の少年たちは新作を競って歌いました。歌の巧い下手ではなく、誰が一番先にソラで歌えるかを競って自慢するのでした。海賊キッドの冒険談はつとに有名で、一大レパートリーを形成しています。またオペラハウスではなく、ミュージック・ホールといった芝居小屋での見せ物も人気があり、後のアメリカでのミュージカルの基礎となるバラッド・オペラという演目も生まれます(ヘンデルに対抗した「乞食オペラ」も有名でした)。ティーンエイジャーの娯楽の場としてはダンス・ホールがあり、ワンステップのダンスを踊るのが当時の流行りでした。彼らだけに通じるスラングも独特でgoodをdoog、badをdobと逆さまに発音するような習慣もありました。 こうした情況で、教区では会衆が讃美を歌うことを禁止する処置も行われました。ともかく多種多様な人がいたので礼拝の収拾が付かなかったようです。そのなかでウェスレー兄弟により始まったメソジスト運動により会衆讃美が新しくされようとしていました。当時一般的には16世紀の詩篇歌を無伴奏で長々と引き延ばして歌われていた会衆讃美を一新するため、まずテンポよく音程を明瞭に歌うように仕向けたのでした。そのために説教壇とは反対側にある西側の2階フロアに楽団を設け、会衆讃美の伴奏に当たらせました。これをWest Galley Band(聖歌隊ならQuire)と言います。ギャラリー・バンドの構成は、コントラバスにクラリネットやバイオリン、あるいはチューバなどが用いられ、今でいうマーチ・バンドに近いものがあります。これらはカントリー・ダンスのバンドとも共通するもので、いわばどの土地にもにわかづくりの楽団があったようです。新しい讃美歌に節を付けた作曲家にはプロの音楽師(酒場の主人もいわば音楽のプロであった)もいれば、靴屋や帽子屋、仕立屋といったアマチュアの名も残っていて、巷のフォーク・ソングも大胆に取り入れたのでした。こうした讃美歌運動は野外集会でも用いられ、至るところで労働者の口に上るようになります。場合によってはミュージック・ホールや遊技場、酒場のように非宗教的な場所でも見せ物として堂々と歌われるので、教区の監督者はショックを受け、これらの新しい讃美歌が正規の礼拝で扱われるまでには時間を要し、最終的には1860年の古今聖歌集によって取りまとめられます。この頃にはギャラリー・バンドのフロアには率先してオルガンが設置されるようになり、民衆の娯楽だった巷のダンスの流行も過去のものとして忘れ去られ、メソジスト運動における歌唱法の革新の役割は終わりを告げたのでした。 ♪West Gallery musicの演奏 Gallery Musicというサイトで公開している音源。West Gallery music自体は 1970年以降の古楽ブームに乗って再構築されたもので、イギリス本国でも 忘れられた存在でした。近代に立てられた教会でも構造上West Galleryは 残っていますが、既にパイプ・オルガンの設置されている教会ではフロント に出て演奏しています。演奏しているのは意外に年輩の人が多く、懐古的 で保守的な印象も受けます。時折18世紀のコスチュームを身に纏っている 写真も見受けられますので、そういう点も楽しんでいるようです。歌声も地声 に近いもので、むしろ家庭的な雰囲気で好感が持てます。 Madding Crowdの演奏風景(これは比較的若い人の多いグループです) 以下はメソジスト運動の讃美歌に記された歌唱上の注意点です。現在の讃美歌指導でも十分に通用するような論点だと思います。
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