会衆讃美の世界
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世俗での宗教歌謡

 吟遊詩人の持っていたレパートリーの多くは騎士道における恋愛作法にまつわるものですが、至高の愛を捧げるマドンナのうちに聖母マリアの姿もありました。このレパートリーの最初の頃に編纂されたものとして、アッシジのフランチェスコのラウダ、カスティリア王アルフォンソ10世による聖母マリアのカンティガ集があり、トルヴェール歌謡にもマリア賛歌は多く残されています。この時代に多くつくられたマリア賛歌は、方々の地方に伝わり詠み人知らずの民謡のレパートリーになっていきました。とくにキャロルの多くは14世紀に育まれたものです。

 これらのマリア賛歌は、この時代に流行った時祷書とセットで考えるとイメージが湧きやすいと思います。時祷書は修道会での聖務日課を補完するための小冊子として最初編まれ、次第に平信徒用の個人祈祷書として流布されたものでした。時祷書は教会暦を基本モチーフとし、(1)カレンダー(各月ごとにキリスト教の祝祭日や聖人祝日を記載)、(2)四福音書の抜粋、(3)聖母マリアの祈り、(4)聖母マリア、聖十字架、聖霊の各聖務、(5)懺悔の七詩篇、(6)連祷、(7)死者の聖務、(8)諸聖人のとりなしの祈り、などが書かれていました。時祷書は典礼書とは違って領地特有の信仰生活を彩る比較的自由なレパートリーをもっていながら、どの祈祷書にもスタンダードに含まれている聖母マリアに関連する祈りの多くからは、中世ヨーロッパにおいてマリア信仰が信心を呼び起こす際に如何に効果的に織り込まれていったかが伺えます。逆に各地域毎の聖人祝日には、祈祷文や聖歌などの多様なレパートリーが形成され、むしろ中世的なエッセンスを色濃く反映しています。時祷書は領主の好みに応じて羊皮紙に綺麗に装飾が施され、この時代の世俗美術の代表作として残っています。

 また貴族の門弟のうちで修道院に入る者も大勢いましたが、当時の学僧は多くのことを学ぶために大学の間を渡り歩くことが常でした。学僧は教会財政に協力するため勉学以外にも朝の托鉢や名士のセレモニーでの奉仕を課せられ、巷での宗教行事を仲介していました。放浪学生のなかにはこうした奉仕や義務から逃げ出す者もおり、ラテン語の聖歌を巧妙に猥雑な替え歌にしたカルミナ・ブラーナという曲集も残っています。ルターの育った時代にはこどもも喜捨を求めて聖歌を歌う習慣がありました。

 15世紀にはペストによる死者が増大する一方で、教会への個人的なミサの寄進が流行り、教会のカントルの職務として日曜以外に週に4日は特別なミサが行われたという例もあります。聖堂建築やセレモニーを兼ねた重要なミサにはブルゴーニュやフランドル出身の作曲家による多声ミサが豪華な写本と共に寄進されました。こうしたミサ曲はオルガンによっても弾かれましたし、オルガンで聖歌隊の応唱の代わりを務めることもしました。当時の音楽家は礼拝中のミサ曲に世俗歌を定旋律を用いることはもちろん、なかにはオルガン奏者が応唱時に世俗の舞曲をそのまま演奏するものもいて、聖職者の間で色々物議をかもしていました。

 ローマ教会がロマネスク期の聖歌を典礼の基礎に置く一方で、それに対する世俗化の方向はまさに曼陀羅模様になっているように思います。以上、マリア賛歌、キャロル、学僧の聖歌、オルガン奏者が織りなした世俗的な宗教歌の情況をスケッチしてみました。


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