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| 中世の放浪楽士 ヨーロッパ中世は9世紀から14世紀までのなだらかな時代変化によって形成されますが、それはカロリング朝から神聖ローマ帝国への封建国家の枠組み形成により展開します。この時代の文化を代表する芸術の動きとしては、ロマネスク芸術(グレゴリオ聖歌、トロバドゥール歌謡)からゴシック芸術(ノートルダム楽派、アルス・ノヴァ)を経て、ルネサンス芸術(ブルゴーニュ楽派)に移っていくものです。 この時代の音楽は作品としてただじっと鑑賞するためのものではなく、身分秩序のなかで演劇的なしぐさを伴う機会音楽として考えられ、人々が身分相応に喜怒哀楽を演じるための機会を提供する道具でした。楽器にもそれらの機会に応じた象徴的な意味での身分の序列があり、ラッパは公権力の象徴として塔のうえから時報を告げ、ハーディーガーディーやバグパイプは身分の低い人の楽器として疎んじられましたが庶民の踊りには不可欠でした。歌謡のスタイルも修道僧、騎士、放浪楽士と様々な身分と作法により分類されていたのです。ここでは庶民生活に関わる放浪楽士について述べるようにします。
中世における放浪楽士の身分は秩序外の自由身分に相当し、例え王宮に出入りする楽士であっても職人組合や市民権の付与は得られませんでした。一般に名を残している人の多くは都市の参事会や教会の聖職禄をもつことで名誉を得ていたようです。中世における楽士の身分の明暗を分けたのは、アルビジョワ十字軍(1209〜)による南フランスのアキテーヌ地方の衰退で、異端審問の追求もありロマネスク様式の文化全般が離散し、たちどころにゴシック様式に座を明け渡しました。この頃に離散した芸術のうちに騎士たちが織りなしたトルバドゥール(troubadour)と呼ばれる吟遊詩人の歌謡があります。騎士道における愛や道徳を説いた歌が好んで取り上げられ、中にはゲルマンやケルトの神話に基づく物語も歌い演じられました。吟遊詩人やその付き添い楽士たちはこの地方の貴族が没落すると、サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼ルートを逆行するかたちで、トルヴェール(trouvere、北フランス)、ミンネゼンガー(minnesaenger、南ドイツ)、トロヴァトーレ(trovatore、北イタリア)、あるいは北スペインの宮廷にかくまわれました。 このように本来、騎士であり宮廷人だった吟遊詩人にまつわる放浪するイメージは、13世紀以降に出来上がったものであるように思います。以後、放浪楽士たちは異教的な悦楽主義を伝搬する輩として、街の出入りを制限されたりしましたが、その主だった原因に教会が封建社会の枠組みに影響力を増していったことが挙げられます。一方で宮廷や貴族の祝宴にはこの手の放浪楽士の存在は不可欠で、その数をもって祝宴の規模を推し量るようなところもありました。この辺りの世俗と聖職のバランスが中世社会の理解には不可欠で、庶民が見聞きした当時の楽士の姿もこのような領主の意向のなかで織りなされたものでした。いずれにせよどこからともなくやってきて、やがて他の街へと消えてしまうハーメルンの笛吹男のような存在だったのかもしれません。 [NEXT→] |
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