唄楽庵 讃美歌「あまつましみづ」都々逸風
  
 永井ゑい子 作詞
MIDI MP3 楽 譜


 








 















 














 














 







 









 














 














 















 







 









 














 














 














 











 






 この讃美歌は最初に基督教聖歌集(J.C.デビソン編、明治17年:1884年)に収録されました。永井(松本)ゑい子さんは上総(かずさ)国 馬来田(まくた)村の出身で、17歳にしてデビソンのもとで讃美歌の訳詩や歌を作ったりしました。この作はその若き頃の代表作。歌は七五七五七五七五の今様なのだそうです。ここでは敢えて適当にチントンシャンと都々逸風の節を付けてみました。(残念ながら元の旋律は調べきらずにいます。判る方がいらっしゃいましたら教えてくだされば幸いです。)

 詩は現在のものと比べると「みづ」を巡る世界観がより素直に語られているように思います。「あまつましみづ」は「天津真清水」と表記されます。「天津水」は万葉集では「仰ぎて待つ」の枕言葉で、広辞苑には「緑児の乳ち乞ふがごとく天津水仰ぎてそ待つ」(万葉集18)、「大船の思ひたのみて天津水仰ぎて待つに」(万葉集2)などが載っています。しかしこの真清水は仰いで待つばかりではなく、自らが「流れ来て」「溢れ出る」ようなもののようです。この落差がこの歌の手放しに喜びうる源泉ではないでしょうか。聖書では多分ヨハネ福音書4章のサマリアの女の話などが題材になっているのでしょう。聖書日本的情緒、歴史とが肩肘張らずに巧く組み合わさった歌だと思います。

 後にこの歌は新選讃美歌(明治23年)第百十五番にも転載されますが、七五調は変わらずとも、語彙は切詰められて現在の歌詞とほぼ同じものへと変わっています。「つちよりいづる」とか「主のあいは」という上下の補足によって教理的な面を引き出そうと意図していることが伺えます。讃美歌の詩体に一種の標準化が始まった(あるいは新選讃美歌の編集方針が標準とされた)ものと思われます。

 








 














 














 














 







 









 














 














 















 







 









 














 














 














 











 


 





 晩年の永井ゑい子さんの心境を描いた読み物はココをどうぞ。





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