【コラム】 民謡について

 民謡とは英語でFolk-song、つまり民衆;民族;家族,親族という連なりで唄われ聴かれる音楽ということになる。ではそうでない音楽とは、宮廷音楽、儀礼音楽など、民衆とは異なる高貴な身分の人々の間で聞かれる音楽といえる。このような音楽の区分は、衣装や言葉使いなどの生活の隅々まで身分制度に区切られていた封建社会において発展したものである。しかしながら音楽を奏でる音楽家の身分は、時代や覇権においてかなり流動的であり、貴賎や聖俗の交流は少なからずあったと考えるのが妥当であろう。

 ヨーロッパの例でいえば、中世は音楽家の受難の時代で、町の街頭で音楽を奏でることにはかなりの規制があった。音楽が肉体的な興奮を誘い、人々を邪教の世界に扇動するというのである。ハーメルンの笛吹き男みたいな話しだが、老若男女がこぞって音楽に無我夢中になるといことは、それだけ活気のあった時代でもあったのだろうと思われる。一方で子ども(ドイツ語でShutzen:ひよっ子)が街角で聖歌を歌い喜捨を受けることは赦されていた。ルターもこの苦学生の頃、このアルバイトをしたそうで、義務教育とか子どもの権利とかの概念のない時代で、聖歌唄いは子どもや学生が食うために日銭を稼ぐ格好のアルバイトだったようだ。カルミナ・ブラーナには、悪態を尽くしたいたずらや、素朴な思いなどが綴られており、当時の活気を容易に見出すことができる。そうした貴賎の境界で繰り広げられた世界は混沌としていながら活気に満ちた世界であると言える。こうした活気はバロック芸術やロココ趣味に引き継がれ、今の私たちにある程度理解できるものとなっている。

 一方で日本の場合は、古代から中世、中世から近世へと覇権構造が変わる時代に、芸能の質が飛躍するように思われる。古代の芸能は神楽、猿楽などの身分(または民族)の交流が舞を通じて見られた。古代社会の形成時に渡来系の王族と地元の豪族とが顔を合わせる宮廷儀礼のなかで、そのような採り合わせが好まれていたのかも知れない。また一方で仏教の声明は歌合わせの伝統と重なり、新春には宮廷の大池を囲んで披露会をするようなこともあったらしい。歌合わせは中国の南東部で今も盛んな歌垣の伝統を汲んでいるように云われる。こちらは谷を挟んで若い男女が恋慕を交わすというのどかな風習である。これが平安末期を通じて中世期に移る段階で、武家の擁護のもとで猿楽の要素が強い狂言や能などの芸能が重んじられるようになり、琵琶法師、簓(ささら)説法などの仏教芸能が覇権の敗者の思いを代弁するようになっていく。近世ともなると念仏踊りや浄瑠璃で展開された浄土思想が芸能の舞台に移築され、歌舞伎や人形浄瑠璃の人情モノとして庶民の娯楽となる。もとは能のようにあの世の私信を語る者が、仏教的な地獄語りをするようになり、これまたそれを成仏するための念仏が、この世の未練を綾子踊りによって退散させるように変化した。人情をすくいあげることはあの世の人のこの世の未練を成仏する思想と重なっているのであるが、怨念に満ちた鬼を恐れる思想とも重なっている。反対にかつての様々な縁起を担いだ祭礼は門付け芸として疎んじられながら、庶民の日銭を稼ぐ方法として根強く残っていく。

 こうして貴族→武家→商家というふうに文化の覇権が移り変わるなかで、日本の芸能は貴賎を移ろい歩くことになる。このためひとくちに民謡といっても何を差して民謡というのか、という疑問は多々あるものの、私の場合は現状で古典芸能として格式を与えられなかったものを思い描いているということができる。長いときの流れの貴賎のなかを彷徨い、聖であるものが俗なものと成り下がる姿は、かなり滑稽でありまた愛くるしい存在でもある。愛くるしいユーモアをもった異形のものといえば、今風にはアニメの世界で大活躍しているキャラクターがそうである。私の場合は幼い頃、郷土玩具という縁起物を集めるのが趣味だったという変わった過去をもっていたことも幸い(災い?)して、こうした好みの問題は一向に収まりそうにない。私にとって民謡とは自然と愛くるしいユーモアを運ぶ異形の人々にイメージが重なっていき、かつて神々を喜ばせたであろう芸能の世界へと傾いていくのである。その芸能を体の芯から発する讃美としてヤハウェに捧げられれば、それがいいように思うのである。

 また民謡は言葉使いも重要な位置を占めている。実際に詩篇歌を録音してみて実感したのが、詩篇に方言や囃子言葉を取り入れた結果、言葉の身体性が顕著に表われる様子であった。何度か録音した声は、嬉しいときには嬉しく聞こえ、疲れているときには疲れて聞こえる。当たり前のことなのだが、歌い方を技法として理解している普段の讃美歌に比べ、民謡の言葉使いは心と体の状態を直接理解できる領域に接していることがすぐさま感じ取れた。このことはこれまでの讃美歌は瞑想的な思いが歌の表情よりも先んじていて、それを精神的と理解していたことが判る。ジュネーヴの宗教改革者カルヴァンは、詩篇は会衆の共同の祈りであるべきだと主張する一方で、それを歌うことは心も体も全ては神のものであるという敬虔な思いに到らせることを経験上語っている。讃美で身体的な表現を会得するまでに特別な訓練を要せず、感情表現の敷居が低い民謡の技法には、生のままの人間と言葉の深い結びつきが不断に込められているように思える。




  戻る
   Back