資料 《故事神學》より

宋 泉 盛 《故事神學》より 十個の神学的立場

  1. 全ての生命あるものは神学的素材となる。神学的課題とは生命における具体的な課題であり思考による抽象概念ではない。
  2. 神学的領域は必然的にアジアの歴史に転移し、神と世界との奥義の洞察に更に広がりと深みをもった境地をもたらす。
  3. 歴史神学における決定的な要因はイエス・キリストである。(キリストにおいて)御言葉が肉となったことは神学的反省と共にアジア地域に住む人たちを引導する行動の中心ともなる。
  4. 神学もまた文化における歴史的影響を受けないわけにはいかない。神学は中立を保持することは不可能であり、ただ神学はあるひとつの文化の歴史に位置することが認められて、はじめて神学の真性を開始することができる。
  5. 教会は神の宣教のために存在する。第三世界の神学的使命は教会における広大な神の宣教の伝統を幇助する。
  6. 非キリスト教文化では、伝統宗教をキリスト教神学の観念の範疇として十分に生かせる。キリスト教神学の任務は人々をキリスト教教理の教化へと硬直化させるのではなく、(罪より)開放される神に依って、必然的に自己を開放させることである。
  7. 神の救済を解釈するのに(キリスト教史の系列に対する)直属的な歴史観は不要である。救済はどこでも必要であり、神はどこにでも存在している。
  8. 神学は現在に仕えることで、未来にも仕えることになる。神学が未来における事柄で機能するときも、未来を握るとは現在に切迫することである、すなわちキリストのうちにあって、神の未来は人類の現在となる。(※神の未来は終末的な神の国の到来をも指す)
  9. キリスト教神学はそのどれもがある特定の文化のなかにあり、政治および社会のいたる所にあって、実践を伴った信仰的な理解に従事する。凡ての世の神学は神学が直面する各々の特殊な情況を抱き寄せ育む務めをもつ。
  10. アジアの人民にとっては、歴史、文化あるいは宗教が、そのままアジア人の生活する共同の世界であり、アジアでの神学が当面する課題である。このような神学が広義における普遍的な神学となることが可能である。



    (原文)
  1. 生 命 的 全 部 是 神 學 的 素 材 。 神 學 的 課 題 在 乎 生 命 的 具 體 課 題 而 不 是 思 考 的 抽 象 概 念 。 神 學 應 該 看 重 的 是 這 個 世 界 而 不 是 天 界 。

  2. 神 學 的 領 域 必 須 轉 移 到 亞 洲 史 , 以 期 更 ェ 廣 深 入 地 洞 察 神 對 列 國 的 奧 秘 。

  3. 歴 史 神 學 的 決 定 性 因 素 是 耶 蘇 基 督 。 道 成 肉 身 是 引 導 人 在 亞 洲 環 境 作 神 學 反 省 和 行 動 的 中 心 。

  4. 沒 有 一 種 神 學 能 避 免 文 化 和 歴 史 的 影 響 。 神 學 不 可 能 保 持 中 立 , 而 唯 有 認 同 神 學 所 在 的 某 一 文 化 和 歴 史 位 置 , 才 是 神 學 的 真 正 開 始 。

  5. 教 會 是 為 神 的 宣 教 而 存 在 。 第 三 世 界 神 學 的 使 命 是 幇 助 傳 統 教 會 擴 大 對 神 的 宣 教 的 異 象 。

  6. 非 基 督 教 的 文 化 、 歴 史 和 宗 教 對 基 督 教 神 學 的 觀 念 和 範 疇 十 分 陌 生 。 基 督 教 神 學 的 任 務 不 是 硬 要 將 基 督 教 答 案 強 加 於 人 , 而 必 須 開 放 自 己 , 因 為 神 是 開 放 的 神 。

  7. 不 要 以 直 線 形 的 歴 史 觀 來 解 釋 神 的 拯 救 。 何 處 需 要 拯 救 , 何 處 就 有 神 的 臨 在 。

  8. 神 學 為 現 在 服 務 , 也 為 未 來 服 務 。 當 神 學 為 未 來 服 務 時 , 是 把 未 來 拉 到 現 在 ; 而 在 基 督 裡 , 神 的 未 來 成 為 人 類 的 現 在 。

  9. 基 督 教 神 學 是 在 毎 一 特 殊 文 化 、 政 治 及 社 會 處 境 中 , 而 從 事 信 仰 的 理 解 和 實 踐 而 來 的 。 普 世 神 學 就 是 孕 育 在 各 種 特 殊 處 境 神 學 當 中 。

  10. 亞 洲 的 人 民 、 歴 史 、 文 化 和 宗 教 , 亦 即 亞 洲 人 生 活 的 共 同 世 界 , 是 亞 洲 神 學 關 懷 的 課 題 。 這 樣 的 神 學 可 稱 為 廣 義 的 普 世 神 學 。


【概要】
 台湾の神学者 宋 泉 盛(C. S. Song)による「故事神学(民話の神学)」(1991)のなかの基本命題である。宋博士は独立派への国民党の弾圧により1971年に米国に亡命、現在はバークレーにある太平洋神学校(CDSP:The Church Divinity School of the Pacific)の教授として活躍している。
 ここの命題で特質的なのは、キリスト教神学(とくに改革・長老派教会の伝統における教義)のスコラ的な合法性よりも、アジア地域での牧会的な配慮を優先している点である。ラディカルに展開される「この世」的な神学の目的は、宣教は基本的に神の業であるという基本姿勢を貫きながら、今のアジアの文化、歴史、生活に直接に問い掛ける福音の実体をキリストとして捉え直そうとの気概に溢れている。
 一方で世界大戦を経験した20世紀の改革派神学においては、「神のみに栄光」が強調された神学的潮流を補足するべく、バルメン宣言をはじめ、ベルハール信仰告白、デブレツェン宣言へと、社会的な悪と平和に向けた「隣人への愛」を神学的な命題とする信仰告白が多く出されている。そもそもイエスが律法における基調を「神を愛し、隣人を愛する」という両面に向けて、そのどちらも重要だと言われたことと、カルヴァンをはじめ改革派の神学者が「神の業」においてあるものを強調しあるものを軽視するということは慎重に避けてきた経歴からすると、これらの宣言は全くの正統性を帯びているとも考えられる。
 伝統文化の純粋な保持を狙う文化人類学と、宣教手段の系列的な伝統を重視するキリスト教神学との狭間で、「宣教する教会」のアイデンティティを巡る闘いは現在でも続けられている。


 なお中国語に詳しくないサイト管理者(桑原)の私訳を補うべく中国語原文を掲載しておいたので参照してもらいたい。



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