資料 デブレツェン宣言

第23回世界改革教会連盟総会(1997年8月)


 われわれは、身も魂も、生きるときも、死ぬときも、われわれ自身のものではなく、われわれの信頼しまつる救い主イエス・キリストのものである。
 われわれは、自らの神学的・道徳的無能と世界に新たな重荷を増し加えたこと、そして神の明らかな意志についての証言を十分に果たせなかったことに対する共同の罪を告白する。われわれは、自ら犯した罪のため、神とお互いに赦しを乞い、また、われわれがお互いに犯した不正の罪に対する赦しを乞うものである。罪の赦しによって可能となる新しい生命を信じ、不正義の鎖は断ち切られうるという神の約束に信頼して、われわれは次のように宣言する。

 われわれは、われわれ自身のものではない。われわれは、すべてのものを創造し、それが甚だ良かったと宣言された、生ける神のものである。われわれは、断じてこの被造物を搾取したり、破壊したりしようとはしないであろう。われわれは、神のために被造物の管理人たろうとする。

 われわれは、われわれ自身のものではない。われわれは、われわれのために死に、われわれの救いのために復活されたイエス・キリストを信じる。われわれは、歴史の究極の目標を決定する秘儀を握っているのは、いかなる人間のイデロギーでも、人間的な計画でもないことを告白する。われわれは、すべてのことにおいて、われわれの救済者に依存しているものである。

 われわれは、われわれ自身のものではない。われわれは、イエス・キリストにおいて高価な値をもって買いとられたものであることを知っている。われわれは、いかなる人間をも上から見下ろしたり、排除することを欲せず、そしていかなる人間の賜物も、それが男性であれ女性であれ、若者であれ老人であれ、無視されることをいっさい望まない。われわれは、貧しい者と連帯し、また苦難に会い、抑圧され、疎外されているすべての人々と連帯することを宣言する。

 われわれは、われわれ自身のものではない。われわれは、われわれをすべての真理へと導く聖霊を信じる。われわれは、人間をはじめ、その労働をふくめ、あらゆるものは値段がつけられた商品であるという誤った教えを退ける。

 われわれは、われわれ自身のものではない。われわれは、神の霊によって新しい社会へと召し出されたものである。われわれは、この世(神の家)の生における、神の秩序ある介入を証言する質素な生活スタイルを自ら義務づけるものである。

 われわれは、われわれ自身のものではない。われわれは、絶望しない。なぜなら、神が統治したもうからである。さらに、われわれは、この世界の不正義に対して激しく戦い続けるであろう。われわれは、神が人類とともに住み、そして彼らの神となることを欲したもう、あの聖なる都を待ち望むものである。

 われわれは、われわれ自身のものではない。われわれは、各世紀をつらぬいて改革教会の信仰をもつキリスト者とともに、そして、神のすべての民とともに、われわれの声を合わせて宣言する。

 神のみに栄光あれ!(SOLI DEO GLORIA)

【概要】
 1997年にハンガリーのデブレツェンで行われた世界改革連盟(WARC)の総会で採択された宣言。当時の議長を務めていたチェコの神学者ミラン・オポチェンスキーの影響もさることながら、アジアやアフリカの貧しい国々から多くの加盟を抱えるWARCの実状をも反映している内容である。オポチェンスキーは中国で江書記との対談で「共産国にとっても宗教が重要な役割を担いつつある」という発言を引き出すほどの対話のカードを持っている人物。改革教会のエキュメニカル運動が経済や環境を取り巻くすべての諸問題とともに歩む決意にあることが伺えるとともに、キリスト教がエグゼクテイブの思想ではなく、福音に仕え世に仕えるキリストの存在と深く関わりつつある現状に喜びを禁じ得ない。最初に罪の告白と赦しを乞い、和解の福音への足掛かりを得ようとする礼拝的な姿勢に深く共感する。



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