祭儀的生活 アジアの風習との関わり
【鬼退治】

 桃から生まれた桃太郎。黍団子(きびだんご)を犬、猿、キジの動物に与えて家来とし、略奪、暴行を欲しいままに振る舞う鬼の住む島、鬼ヶ島へいざ征伐の旅。家来の動物の活躍もあって、目出度し鬼退治に成功し、これまで鬼がうばった金銀財宝全て村に持ち帰ったとさ・・・とまぁこんな昔話がありましたな。

 古代の古代も戦国の世も、太平洋の島々の例に漏れず部族闘争の激しい国だった日本の諸国は、まさに鬼の天下そのもの。一方、桃太郎は黍団子というささやかながら食物を分け合い、犬、猿、キジなど到底仲の良くなさそうな動物をまとめ上げて一致協力します。桃太郎(その名前からして豊潤そのもの)は田畑を共有し実りを守護する平和国家の象徴であり、一方の鬼どもは部族間の小競り合いを繰り返しては略奪、暴行の力任せの日々を送る荒くれ者の集団ともいえるでしょう。桃太郎の説話が語られた時期には鬼たちの部族紛争は時代遅れの邪魔者であったと考えられます。しかしこの鬼どもはいったい日本の何処へ行ったのでしょうか?

 鬼は邪気とも言われるように病気をもたらす存在としても恐れられていました。豆撒きは滋養のあるもので邪気を退散させようとする願いであり、古くは宮中に潜む鬼を矢で追い払う鬼やらい(追儺)とも言われる行事もありました。鬼ごっこも鬼に触れると感染するという考えが基本にあるような気がします。一方で子どもを戒める方法として、秋田県のなまはげのように、わがまま言って泣く子はお仕置きして食べるぞぉ、といったり、私の子どもの頃は悪い子はサーカスに売り飛ばす・・・そんな脅し文句もあったものです。モンゴルのほうには、子どもにあえて「人じゃない」とか「なまえがない」ついでに「悪い犬」などの、とても人間の名前とも思えない悪名を付ける習慣があります。それは悪霊がその名に騙されて幼児を人間とは思わずに通り過ぎるという願いがあるようです。悪人征伐とは異なる、隣の鬼さんという親しさも庶民のなかには存在し続けています。自らの現実を鬼に投影する多様な知恵とユーモアが感じられます。

 一方で日本国家が考えた鬼はあくまでも夷敵とも言われる統一反対勢力でした。幕府は征夷大将軍と言われ、近代国家の明治政府は尊皇攘夷を旗印にしていました。北海道のアイヌや瀬戸内海の悪党など、地域の流通を牛耳っていた人々を討伐して経済を独占する政策は、天下太平の大義名分のもとで繰り返されました。近代のアジア貿易圏の独占を狙って朝鮮を統合し、満州統治や三光作戦に苦しめられた中国からは鬼呼ばわりされたのは日本人です。部族紛争を廃して平和国家を樹立する建前は、一方で他の民族の文化を滅ぼしても平然とする偽善的な態度として存在します。そもそも古来の言い伝えの鬼は、魂魄(こんぱく)という人間の二面性の一面であり、魂は死して神のもとへ、魄は肉体に憑いて鬼となるとも云われました。日本の軍兵が食料や人に対して情け容赦ない行いをしたのは、単に悪行というよりは肉のことに明け暮れる鬼の姿に映ったとも思えます。鬼も自制の効く範囲なら冗談で済みますが、これほどの勢力誇示をしてもらっては迷惑以外の何者でもありません。

 キリスト教の世界にもサタンなどがいて、堕落した天使であるとか、悪霊そのものであるとか、いろいろな方法で神に逆らうことを試みることで知られています。また鬼としての人間像は偶像に支配された異邦人を指している場合もあります。しかし聖書のほとんどは、そうした外因の誘惑によって人の悪行が支配されているのではなく、人それ自体が神に背く罪をもって生まれてきているのだという認識があります。イスラエルの預言者は多くの場で、敵を倒すことより自らの罪を悔い改め、慈しみを行うように呼びかけます。苦難のメシアは異国の脅威の前に自ら先頭に立って犠牲となり、イスラエルの民の窮地を救うへりくだった柔和な姿勢を貫きます。それは罪ある人の姿をとって十字架に掛かられたイエス・キリストへと引き継がれていきます。

 鬼は自分であって、価値観の違う他人を悪人と決めつけて征伐するだけでは救われない。昔、老齢の教会員がついカァーッとなる自分の不甲斐なさを夜叉心(やしゃごころ)といって戒めていました。キリストにあって柔和で謙遜な観察を常に持っていることが、心の鬼と真摯に向き合う大切な知恵なのではないかと思います。





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