祭儀的生活 アジアの風習との関わり | |
【民国史観のすすめ】 皇国に対する民国という語呂合わせです。本来なら民俗史研究のというべき分野なのですが、これに国という概念、つまり政治的営みをも加えて、日本人の歴史を考えてみようという些細な願いです。 日本での民俗史研究の成果は、庶民の伝承記録を伝承の目的の転換とみて、純粋な日本人のアイデンティティーとはいったいどこにあるのか、という事象の再現を試みるようなところがあります。「へび婿入り」という昔話では、まず雨水を掌る沼の蛇が現れ、村長の娘を生贄に出すことを条件に雨を降らせます。生贄はやがて蛇との婚礼という社会秩序として、異形の者への戦略結婚として理解されます。しかし村長は異形の蛇に嫁ぐ娘に針千本を持たせ、呑み込もうとする蛇を成敗する策略を企てます。その後死んだ蛇は娘ともども、上人に成仏され荒ぶることなく、村に雨をもたらす明神として祭られ今に至るということです。最初は神であった蛇は、後に敵対視され、最後には別の宗教のなかで思い起こされています。こうした縁起の移り変わりは、根底には蛇を祭るアニミズムがあり、古代における近代化として祭儀が過去のものへと葬り去られるその時、仏教縁起に習合されていったことが伺えます。民俗史の研究は、こうした政治的な骸(むくろ)を剥ぎ取った純粋な縁起を信じる人々の世界観を再現し、日本人のアイデンティティーを見直そうとするものでした。 一方で、こうした民潭の研究から掘り起こされる宗教的世界観ともいえるものは、人々の生活観をフォローしません。生活を守るために行った様々な政治的な工夫を、庶民という概念から押し退けて、純粋で素朴な人間であることを強要するきらいがあります。実際には彼らは奴隷的な身分ではなく、時代を担うことをやってのけたにも関わらずです。例えば中世における荘園制には、今の山農村の集落デザインを決定した、当時としては画期的な近代化の手法が多々あります。こうした人々は政治的な主導権を取らなかったが、日本の農村経済の根幹を造った功労者です。後の戦乱の時代に支配統合されて、被支配の立場を取りますが、地方の歴史をみると豪農、庄屋という身分が武力以外の政治的役割を大きく担っていたことが判ります。また文化面でみると、江戸庶民の諸芸術は武家の指導では達し得ない高みをもっていますし、猿楽、能などのテーマは公家の側から出てきたというよりは、庶民の気質を言い表していることは言うまでもありません。庶民は歴史と呼べる物をもっていないが、伝承し生活する事実の繰り返しのなかで生きているということがいえます。 皇国史観では政策統治に適化し、こうした文化の発祥を全て天皇がもたらしたような世界観を提唱しますが、実際に担ったのは庶民の側なのです。もし登呂遺跡や三内丸山遺跡に歴史書物が残っていたら、古来から大和民族がひとつだったなどという説が、いかに神話以上の何物でもないかを示すことでしょう。日本人と呼ばれる人々は史実をあいまいにされ、依然として物語の域を出ない政治劇に踊らされていることか・・現在の状況でもそれは一向に変わりません。日本の国会の法案でのやり取りは、それに至るプロセスや反証が議論されることをほとんど拒んでるように思えます。いわんや宗教のこととなると、ほとんど神託に近い絶対性を帯びていなければ有り難味がないように思われる始末です。そのような政治的センスに欠けた日本人のなかで、皇国神話を勝手にひとり歩きさせないために、歴史は生活の手段として正しく語られる必要があります。例を挙げると、このため反戦もひとつの生活史といえるのです。根拠は戦時中の支離滅裂な生活の困窮にあるといえます。それはアジアの諸国とて、大東亜共栄圏の理念や冷戦構造の高度な政治的判断よりも、民衆の生活を脅かした日本軍族支配の記憶が深く根付いているのです。現在の生活史から観た皇国史観は、失敗以外の何物でもないのです。庶民の真実は繰り返される生活という、極めて冷静な事実に基づいているとも言えます。 * * * イスラエルは律法や預言書の伝承に政治的な意義と共に、生活の教訓としても幅広く用いていました。しばしばそれは政治の大義名分と庶民の生活とのずれを生じさせ、預言者によって慈しみと平和の復元を迫られることも多く記されています。イスラエルの民とは、ヤハウェ神の慈しみと平和を具現するメシア王と共に、自己の世界観をヤハウェ神に帰する人々であると言えます。律法はその祭儀の方法を伝え、預言は地域の伝承の方法を模倣しながら発展します。そこには国民意識を統治するための政治もあれば、生活や経済を司る政治もまた存在するのです。聖書の伝承史を研究する立場は、こうした政治的な衣を剥がして、純粋な宗教的な営みを再現する手法です。そこでは古代イスラエルの祭儀や伝承を純粋に再現しようとする意図が見え隠れします。一方でそれはキリスト教会が用いてきた律法や預言の教義的理解への反証ともとれます。それはあくまでもキリスト教会の政治的な目的に模様替えされたものであるという意見も、ことユダヤ人への中傷の種になった歴史への反省からも伺えます。しかし反証は無条件で受け入れられるものではないため、両者はバランスをもって歩む必要があるとも考えられます。 私が詩篇の私訳で、聖書神話の伝承史を日本の民潭にメタファーしようとする試みは、日本人の思考形態が古代社会のそれを残している珍しい民族であり、古代ローマ的な歴史主義の政治発想があまりよく理解できていないように思っているためです。教会政治を教会法という手段で統治する方法は、日本においてまだ成熟した結果をもっていません。教義と律法を勘違いする人も跡を絶ちません。教会政治とは自己責任を教会法において明言する営みに他なりません。それは同時にキリスト者が地上で生きる手段として語られる必要があるのです。それが実行されるためには、庶民の政治形態を見直す作業と共に、身の丈にあった教会法と伝承の在り方を模索する必要があります。それも自然な成り行きに任せるのではなく、明確な目的、即ち日本での福音伝道と教会形成という立場をもって行動するべきです。そのためにキリスト教の膨大な教会史は役に立つし、また生活の手段としての民俗史も役に立つでしょう。日本人の歴史、生活、世界観にメタファライズされるキリスト教は、皇国史観という一面だけを観るような浅はかな歴史認識では決して済まされません。メシアと伴に神の慈しみと平和を目指す教会政治の自己責任において、場合によっては歴史を造ることさえ、私たちには赦され求められているのです。その祭儀的役目がイスラエルの使命ともいうべき働きだと思います。 ![]() |
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