祭儀的生活 アジアの風習との関わり
【講】

 中世も終わりの頃、仏の縁起を講じ伝承する方法に、講を組織する仕方がありました。念仏講、恵比寿講、などその縁起の幅も日本の神々の数ほどあるといってよいでしょう。民間の中で継承されたこの方法は、家々の持ち回りで講を開き、数々の誤謬も交えながら日本中に広がっています。千年前の仏教伝道の広がりと浸透の遺産であるといえます。

 古代のイスラエル民族も、これと似た方法で天幕の由緒ある所に石を置いたり、「高き所」で礼拝して、多くの誤謬を含みながらも信仰と民族の云われを伝承してきました。王国が離散した後もシナゴーグを形成し、聖書の教えを守ることで民族の絆を保ってきたのでした。パレスチナという土地以外の地中海世界に広くユダヤ教が浸透したのも、この伝道方法が神殿礼拝から引き継がれてきたことがあったためでした。ガリラヤ出身のアンデレ、ピリポなどはギリシア系の血を引くユダヤ人でしたが、メシアの待望を集落の中から自然に身に付けていました。

 集落の生活に聖書を講じる団らんがあり、礼拝所の場所に限定されずに伝道の輪が広がることは大変好ましいことです。しかも毎日曜に、講に日頃奉仕する者たちが、礼拝所に共に集って聖晩餐に与かることは、なおのことすばらしいことです。民衆が聖書を講じるための手段としては讃美歌や祈祷書などが主流で、家庭での祈祷会という方法が生活の座を占めています。これが家族の枠を越えて、集落の場に公にされる形態が、聖礼典の執り行われる礼拝所とは別の、地区的な交わりの習慣となれば良いように思います。

 社会的な契約関係や経済秩序では割り切れない人間関係に、聖書による祭儀的な交わりが生活として染み付くことを願うばかりです。己の弱さからくる多少の誤謬を怖れずに、絶えず聖書に問い直され悔改める場が、私たちの生活には必要です。





  戻る
   Back