祭儀的生活 アジアの風習との関わり
【娯楽と滑稽】

 祭儀は儀礼と遊戯の習合によって成り立つ場でもあります。そこでは神と人とが入り乱れ、浮世の貴賎さえも超越し、神の縁起と人の素性が演じ語り尽くされます。世界中の多くの祝祭は、祭儀の場と並列してダンス・ホールが設置されます。普段から男女の住環境を隔てることで婚姻を制御してきた集落では、祭は子孫繁栄を祝う特別な場でもありました。

 しかし都市の繁華街における祝祭空間の常駐は、祭儀的な生活を金融で呑み込んでしまいながら発展してきました。このことが集落の祭儀的な絆を剥奪し、神ならぬ金融経済の神話性を助長し、金の亡者を育んできました。皮肉なことに、今日の社会では伝統的な祭儀は文化遺産になることで物質化し、繁華街は電子情報化して更に精神的になっています。

 私は祝祭空間が金融経済の中で消え失せる前に、再び祭儀によってメシア=人の子の姿が地上に見出せることを望んでいます。その内には娯楽という要素も、祭儀的生活の枠組みに入っていなければなりません。


 宗教性のある娯楽としては、日本の多くのシャーマニズムによって芸能集団として受け継がれてきました。古くは公家の祭礼に土着の出立である猿楽が催され、中国をモデルにした仏教的な律令国家の建設を通じて次第に権威を失った卜占や呪いの徒たちも、信心そのものが失われたものでもないため、儀礼と遊戯を組み合わせながら喜捨を求めて流離ったのでした。

 一般に庶民が支配層の催す祭礼や仏典の体系的な縁起のすべてを充分に理解できなかったこともあるのですが、実際には祭礼の権威は常に支配層にあったため、土着の祭礼を骨抜きにされた庶民は、祭礼を常に外から迎えるものとして理解してきたようです。家々に門付をしながら、滑稽な出立で現れる遊興の徒を目出度いものとして迎えるのも、彼らの宗教性と根本的に合致しているというよりは、やはり歴史の知恵から生じた庶民性から来ているようです。しかし南太平洋の島々では神は常に海外からやってくるという風習がありますので、日本の基層文化として存在したのかもしれません。一方で庶民の感覚では、娯楽も宗教性の強い側面をもっていたとも考えられます。

 現代にこの状況を置き換えてみると、日本の政治が民主化された後にも、憲法が庶民に知られ守られることよりは政治的な道具として大事にしまい込まれ、議員が権威にすがる状況に変化はありませんし、アミューズメント・パークが娯楽の宮殿とも言われるように、集う人たちの目付きまで変えてしまう魔力には、宗教性が全くないというのがウソとしか映りません。

 ちなみに日本のキリスト教伝道はピューリタニズムの影響が大きいため、これまで血湧き肉躍る感動は人間の罪を助長するものとして嫌悪されてきました。しかし特別な修練を好むカルト宗教が横行する現代の空虚な精神性はさておいて、人間の性を神へ向けることなしに罪の悔改めることは困難ですし、礼拝を傍観するだけでは罪の感覚は次第に麻痺するものです。心も体も共に神に向けることが、祭儀に含まれる娯楽の目的といえるでしょう。

 ダビデ王が神の箱の前で裸踊りをしたとき、王家の嫁は恥ずかしいことだと叱咤しましたが、ダビデの喜びは彼の素性を覆い隠すことなく溢れていたのです。ダビデの赤裸々な振る舞いへの神の祝福は、叱咤した嫁の不憫な生涯に反映されています(サムエル記 6章)。娯楽を通じて、命の宗教としてキリスト教の伝統を見詰め直す必要があります。





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