祭儀的生活 アジアの風習との関わり | |
【戦う人々】 昔から武勲に関わる縁起物はそれなりに多い。古くは平家、新しいものは東郷と寺社に祀られてる武将もいるわけだから、地域の歴史に深く因縁をもっているとも考えられる。諺にも「勝って兜の尾を締めろ」とか「光陰矢のごとし」というありがたい戒めから、「戦見て矢を矧ぐ」や「一将功成りて万骨枯る」といった皮肉めいたものまで、日本の民衆にとって戦いというテーマは意外と身近であったといえるのかもしれない。 聖書の武勲伝はヨシュアにはじまりダビデに終わるようなところがあるが、主イエスの時代になって「柔和な人は幸いである。彼らは地を受け継ぐ」という御言葉どおり、武勲というより犠牲という言葉にメシアのカラーが塗り替えられている。そもそも第二イザヤの末期的な雰囲気のなかで語られた「苦難の僕」の歌からして、イスラエルのメシア王は戦いの先頭にたって民の代わりに犠牲の死を遂げる人として映る。パウロも戦いは骨肉のものではなく霊の戦いであると繰り返し言っていて、戦士の誇りは内面的なものへと変わっていってしまうのである。 それでも世界が戦乱と無関係になったかというとそうではなく、キリスト教も覇権が伴うと血生臭い歴史の表舞台に立っていることが少なくない。むしろ歴史という方法論が統計的な平和を拠り所にしているので、覇権の移り変わりだけに心を奪われてしまい、道徳とか倫理という文化面を深く掘り下げない傾向があると言ってもよいだろう。中国の諸子百家のように戦乱の歴史と不可分になって思想を説いた人々は、いわば歴史とは言えなくなっているのが残念というか口惜しい。キリストも時(とき)を意識して「今はまだその時ではない」「もはや時が迫っている」と言うように、その時代にあるべき姿と潮時の難しさを体験しつつ歩んでいたように思う。その意味で私たちは福音書について、個々にありがたい教訓を汲み取る以外にも、自分がそこに生きる時間を経験しなければ本来の姿に立ち返れないと思う。 私はこのサイトで日本の伝統的な仕草や言葉で語る人々の真似をしながら詩篇歌を綴っているが、それは日本文化の覇権のためではないし、もちろん西欧的キリスト教文化の覇権を放置するものでもない。むしろ覇権によって理解するのではなく、福音によって生きる座を日本の伝統文化のなかに求めているわけです。文化の優越で決着を付けるのではなく、福音と生活とが互いに仕え合う関係を模索しています。もともと西洋と東洋が異質であるがゆえに戦いを強いられる運命にあるとすれば、和解のために身を投げ出すのが福音の姿であろうと祈ってやまないのです。 |
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