祭儀的生活 アジアの風習との関わり
【あの世のはなし】

 どうも日本でインカルチュレーションというと、必ずといって死者の弔いに関心が向く。そもそも死後の世界は宗教的な語彙が多いので、救済の方法や教義にいたるまで検証して無闇に教義上の語彙を言い換えたところで、結果は「宗教が違うから」ということにはなりはしないだろうか? そういう疑問だけが先走り、あまりこの話題を扱うのは避けてきた。聖書においても死後の世界は神の領域であり、無闇に呼び起こしてはならないように思う(サムエル記上)。貧者ラザロの喩えにも、黄泉に落ちた金持ちがまだ存命中の兄弟のところへ忠告をさせてくれと頼んだところ、モーセの十戒があるという理由で断られた(ルカ福音書)。

 ということで私の関心は生きている人と生きている神の交流にあるのだが、自分の扱っている民俗芸能のルーツがまさに、あの世との交感を芸能で表わすようなものが多いことに注目している。節分の豆まきで有名な鬼遣(おにやらい)や追儺(ついな)などの行事は平安時代から存在したが、中国での「鬼」は弔いの済んでない魄(はく=魂の陰気)の暴ぶれる様であり、病気をもたらすという意味でも死を牽引する存在である。能においてはあの世とこの世の架け橋から夢幻の様で表われ、現世(うつしよ)の刹那を語るようなことも行われている。浄土的な思想は踊り念仏から綾子踊りへと引き継がれ、この世での無念を遊戯で晴らすという庶民的なアイディアに結び付いた。成仏という目的の抜けた歌舞伎でも、無念は人と人との間に常に生じるドラマの中心として、義理と人情に挟まれた無念を晴らすモチーフに受け継がれている。今でも施餓鬼(せがき)ということで盆のころに先祖の因縁をなだめる行事があるが、中世の人にとっては血生臭い日常のなかでの出来事、江戸の庶民にとっては日常の憂さ晴らしとして、生きる自分の鏡として語り続けていたのだろうと思う。思えば平家物語も、山椒大夫のような簓(ささら)説経に付き物の浄土での生まれ変わりの後日談は見られぬものの、栄華を極めることの無念に浮き世の定めを交えることで、復讐の鬼をいさめる役目を負っていたのかもしれない。

 そうして考え合わせると鬼の正体は人の世の慈悲の無い姿であり、あの世からわざわざやってくる人々の魂もまた、この世における無念を果たせずに未練を残した存在である。キリスト教的にこれをどう捉えるのかという問題なのだが、私自身は無念はキリストが十字架で負われたというふうに解釈する。人々が浮き世に積み重ねておる無念をキリストは裁き捨てることなく、おのれを無念の人として十字架につけることによって神の前にご破算とした。私たちにキリストに祈願するのは黄泉の旅路の無事だけではなく、無念を一身に受けたキリストにあって、浮き世に未練や無念を残さずに生き抜くことでもある。それは人間関係においてもそうだが、自然との共生においても、知恵と愛をもって生きることでもあろう。仏教や神事の影に潜んで民俗的なシャーマニズムが担ってきた生の呻きに耳を傾けるのは、これからの時代のキリスト教の課題でもある。あの世のはなしのつもりが、この世のはなしに終始してしまいすまない。






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