【コラム】 改革派教会の礼拝について | |
(はじめに) 16世紀ヨーロッパでの宗教改革は、教会の教義を巡る論争でもある一方で、教義を取り巻く制度と礼拝の改革でもありました。改革はおもに以下の点に向けられたといえます。 1.キリスト教の本質を新約聖書、とくに福音書とパウロ書簡に 見いだす。 2.信仰生活の根本を聖書に見られるキリストの教えと各個人との 直接的・内面的な触れ合いに求め、信仰の内面化と日常生活の 浄化とを目ざす。 3.聖書に根拠をもたぬ伝承や典礼を二義的と見なし、教義の簡素化 を主張した。 (二宮 敬 平凡社世界大百科事典 “福音主義”解説より) (礼拝の改革) ルター派、および英国教会は、カトリックの典礼をほぼ受け継ぎながら、民衆の理解できる言葉で礼拝を実践する方法を取りました。一方、改革派教会は、礼拝における福音説教の位置をより明確にするため、礼拝そのものの様式を改革する手段を選びました。教理面での分水嶺は、聖餐を「しるし」とすることで、受け取る側の信仰の吟味を重視し、聖餐を信徒も含めた共同の祭司的責任の下に置くことでした。それまでの伝統は、パンと葡萄酒がキリストの実体として変化し受難を再現するために、司祭が聖変化の祭儀を行うことが聖餐の第一義的な行為でした。 一方で聖餐の重点が信徒の福音理解に傾くことを第一義的に考えるため、改革派の礼拝様式の実践もそれに伴い変化が生じます。 福音説教においては、信徒の福音理解の訓練が重視され、問答形式で聖書教理を学ぶカテキズムが広く使われました。16世紀のヨーロッパでは、信仰の主要な条項を述べた信仰告白を都市毎に作成し、救いの道が聖書のどこに記され導きとなされるべきかを説明しています。その後に至っては、国家規模でまとめられた共同告白が教会の政治的立場をも表明するスタイルを取っています。改革派教会がカトリックの王権とは違う形で、教会政治の独立性を重視する伝統は、救いの道が聖書に求められるという原則に立って理解されているとも言えます。 礼拝改革の実践においては、@チューリッヒでのマリア晩祷と福音説教の組合せ、Aシュトラスブルクでのシナゴーグ礼拝とユーカリスト祭儀の組合せ、の2つの流れがあります。現在のプロテスタントの多くはより簡潔な@のチューリッヒのスタイルを採用しています。最近の理解では、カルヴァンがジュネーヴで採用した方法が、Aのシュトラスブルクの影響の強かった礼拝様式だったので、そちらのほうの再検討もすすんでいます。 (礼拝の広がり) 改革派、とくにカルヴァンの神学では、予定説をもとに救済に歴史的経過があることを理解し、天地創造からキリストの再臨に至るまで、旧約と新約との救済に途切れることのない神の慈しみと平和とを見出しています。旧約において神が選ばれた救済の方法は、キリストによって一層明らかになり最終的になったという理解です。それは一方で人間がイエス・キリストの後も、依然として罪に生まれる存在である宿命を背負っていることへの、冷たくも慎重な態度にもつながっています。しかしながらカルヴァンが人間の堕落した本質を、髪の毛から足の爪の先まで罪に染まっていると評するのは、裏を返すと神がもたらす人間の救いの対象と成り得る事柄に際限がないことへの讃美につながります。人間が生きる間に体験する救いの道のすべては天の国への「しるし」であり、そのひとつひとつを数え上げてなお、神からの慈しみと平和が留まることなく溢れ出ることへの希望につながっています。救いが予定されてもなお、祈ることをやめないのは、自身の罪のゆえに必要であるというよりは、よりいっそうの慈しみと平和の実現の希望が絶えないことに信頼を寄せているからとも言えます。 同様に聖徒の務めに関しても、単純に教会制度や礼拝執行の点に限定することなく、生活のあらゆる場での聖徒の祭司的行動が求められています。それは聖徒らによって営まれる教会政治全体が神への感謝の捧げ物として存在することの意義を常に質します。神がご自身の慈しみと平和のために働くゆえに、キリスト者もそれに合わせられてあらゆる方面で働くのです。 一見、異教徒への偏見の多いように見える予定説も、自身の罪の状況を平等に見るならば、悔い改めと感謝、そしてキリストを分かち合うことの必然性を、礼拝において繰り返し訓練し、生活全体を祭儀的な場として活用することを、どの人々にも勧めることが必要なのだと思い知らされます。 ![]() |
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